東証の社員によるインサイダー取引規制違反に関する調査報告書が公表された。インサイダー情報の必要のない共有と、取締役の情報管理体制の構築に関する責任について。

こんにちは。弁護士の浅見隆行です。

日本取引所グループ(JPX)は2025年1月30日、子会社である東証の社員(2024年12月23日に懲戒解雇済み)が起こしたインサイダー取引規制違反に関し、「独立社外取締役による調査検証委員会」の調査報告書を公表しました。

東証社員によるインサイダー取引規制違反の概要

事案は、調査報告書を要約すると、

  • 社員は2021年4月にJPXに入社し、2023年9月から東証上場部開示業務室に勤務
  • 2024年1月から3月にかけて、KDDIがローソンの株式のTOBを行うと決定した事実、ヒューリックがリソー教育の株式のTOBを行うと決定した事実、NTTデータがジャステックの株式のTOBを行うと決定した事実を知り、社員の実父に各情報を伝達
  • 実父は、自分名義で、ローソンの株式1200株を約1020万円で、リソー教育の株式11,000株を約244万円で、ジャステックの株式3,000株を約422万円で買い付けた

というものです。

なお、社員が所属していた東証上場部開示業務室は、以下の体制になっています(調査報告書9ページから引用)。

情報伝達の注意点は、以前にもブログ記事にしましたので、そちらを見てください。

東証の情報管理体制

社員の動機は調査の対象外

調査報告書は、原因究明として、不正のトライアングルの3要素として知られる動機、機会、正当化のうち、動機以外の機会、正当化の2点について調査しています。

動機については、「SESC による調査及び刑事司法手続への障害とならないようにとの配慮並びに事実の究明は刑事司法手続に委ねるべきとの判断に基づき、調査対象者に対して当委員会が直接インタビューを実施して事実関係や動機等を確認するという手続は実施していない」「委員会は調査対象者に対して直接インタビューするという手続を実施しなかったため、調査対象者が情報伝達行為を行った動機の解明は今後の刑事手続を待つしかない」とのスタンスをとっています(調査報告書4,15ページ)。

こうした行政、司法への配慮から調査の対象から外すことはないわけではありません。

とはいえ、JPXあるいは東証が建前ではなく本気で原因を究明し再発防止策を立案するなら、行政、司法の手続きが終了し社員の動機が明らかになった時点で、明らかになった動機を踏まえて、再発防止策の追加の要否は検討した方がよいでしょうし、すべきです。

例えば、動機が社員とその実父の私利目的だった場合を想定して考えてみましょう。

仮に、そもそもインサイダー情報に触れやすいから入社したのだとしたら産業スパイと同じ対策が必要ですし、採用試験の段階で何らか網を張れないか予防策を検討するることが再発防止策です。

また、仮に給与に不満があったことが動機だとしたら、業務内容に合わせた給与体系の見直しの要否を検討するなど人事の課題を解決することが再発防止策です。

さらに、仮に趣味やギャンブルなどにハマっている(アイドルへの推し活がきっかけで横領した例もあります)、家を購入した、子どもの学費などで目の前のお金が欲しかったことが動機なら、そういう金を無心しそうな社員の人員配置などを考えることが再発防止策です。

調査報告書では、社員にはカードの返済遅れ(返済済み)があったことくらいしか判明していないので、社員と実父の動機は実効性のある再発防止策を策定するためには重要なポイントだと思います。

動機と再発防止策とは切り離すことはできません。

これらのようにインサイダー取引規制違反も、会社の情報をもとに自分の利益を図るという意味では、会社の財産をもとに自分の利益を図る業務上横領や背任と本質的には同じです。

業務上横領や背任の原因については以前にまとめたことがあるので、そちらも参考にしてください。

事件発生当時の東証上場部の情報共有体制

東証は、公開買付けの実施、公開買付けに関する意見表明、第三者割当による株式発行、合併等の組織再編行為、買収への対応方針の導入等に関して適時開示を予定している場合、原則として公表予定日の 10 日前までに TSE へ事前相談を行うことを要請しています。

調査報告書11、16ページ以下によると、このインサイダー取引規制違反が行われた当時、東証上場部の情報共有体制は次のようになっていました。

  1. 東証上場部の担当者は、上場会社が任意で事前相談を行う場合などの軽微な案件を除き、事前相談で受領した上場会社の公表前情報を、上場グループ内の自らが所属するチーム内ですべて共有している。
  2. 各グループでは定例会議を開催し、上場部担当者は、自らが担当する主な案件の概要をまとめた資料を作成し、同じグループのメンバーに共有している。資料の電子ファイルは、上場部の共有フォルダ内に保管され、すべての上場部の社員に当該フォルダのアクセス権が付与されている。
  3. 適時開示の内容をきっかけとして上場廃止基準に該当するおそれが発生し、その事実を投資者に周知するために監理銘柄への指定を行う場合など、上場部担当者は、関係グループ(ディスクロージャー企画グループ、企画グループ、制度推進・管理グループ)にも情報を共有している。ディスクロージャー企画グループが作成した資料の電子ファイルは、上場部の共有フォルダ内に保管され、すべての上場部の社員に当該フォルダのアクセス権が付与されている。

調査報告書のとおりだとすれば、上場部の社員であれば誰でも資料を見ることができる状況だったということです。

セキュリティ意識が高い一般の事業会社に比べると、かなり管理がずさんな印象を受けます。

実際、今回はこのずさんな管理状況を利用されました。

社員が実父に伝達したインサイダー情報のうち、

  • 3 件中 2 件は、調査対象者自身及び自身の所属するチームの者が担当するTOB 案件
  • 残り 1 件は、自身の所属するグループの別チームの者が担当する TOB 案件

に関するものでした。

日興証券インサイダー事件と野村證券インサイダー事件の教訓

調査報告書を読んで頭に浮かんだのは、日興証券で起きたインサイダー取引事件と野村證券で起きたインサイダー取引事件です。

日興証券インサイダー事件(最判2022年2月25日)

日興証券インサイダー事件は、

  • TOBの実施に向けた支援を行う部署の従業員が、部内の共有フォルダ内に保存されている各実務担当者の担当業務一覧を閲覧
  • 同じ部署内の実務担当者の電話での会話内容から、TOBを実施する公開買付者とTOBの対象会社を特定
  • 公表前に知人に情報を伝達し、対象会社の株式296,000株を53,268,100円で買い付けさせた

というケースです。

日興証券インサイダー事件の詳細は以前に詳しく解説したので、そちらも参考にしてください。

部内の共有フォルダにアクセスし、自分が担当していない案件のインサイダー情報を入手した手法は、東証社員のインサイダー情報の入手方法と同じです。

東証は、当然この事件は知っていたでしょう。

この事件を知っているのに、これと類似した手法でインサイダー情報が入手されてしまうことを想定した情報管理措置(そもそもアクセスできなくするか、アクセスできても閲覧できなくする、一定の権限・役職以上の者に限定するなど)をしていなかったとすれば、通常想定できる不正行為を防止できる程度の管理体制を整備していなかったとして、取締役(会)の内部統制構築義務違反を問われかねません。

野村證券インサイダー事件(東京地判2008年12月25日)

野村證券インサイダー事件は、

  • 野村證券の企業情報部六課に在籍していた従業員が、自分が担当する案件のほかに同課で扱っていたM&Aに関するインサイダー情報を社外の友人に漏えいし、かつ、他の証券会社に持っていた口座で4銘柄6万7500株(約4175万円)を買い付けるインサイダー取引を行い、約1300万円の利益を得た
  • 懲役2年6月、執行猶予4年、罰金100万円、追徴金約635万円の有罪判決

というケースです(判決文がDBで見当たらず当時の報道があっただけです)。

なお、友人も懲役2年6月、執行猶予4年、罰金300万円、追徴金は従業員と連帯で約635万円、友人単独で約4900万円の有罪判決となりました。

詳細は、野村證券の特別調査委員会の報告書で見ることができます。

野村證券インサイダー事件の特徴は、

  • 採用後間もない従業員を情報の中枢部門に配属したこと
  • インサイダー情報を他課のホワイトボード(日程表)の行く先を見て推測したこと

です。

共有サーバや共有フォルダなどデジタルな部分の情報管理だけではなく、人員の配属も情報管理として見過ごせないこと、アナログな情報についても情報管理の対象にしなければならないことがわかります。

東証の社員は共有フォルダからインサイダー情報を入手したようなので野村證券とは情報の入手法法は異なります。

他方で、人員の配属を慎重にしなければならない点は参考になるかもしれません。

調査報告書では、東証の価値・理念の共有が不十分だった要因として

特に調査対象者が JPX に入社した 2021 年からは、コロナ禍の中で、JPX 役職員の間のコ ミュニケーションのレベルが低下していたことは否めず、そのような状況が、ほとんどの者が当然と感じている JPX の価値・理念を調査対象者に十分には共有できなかった一因となっていた可能性がある。 

と考察されています。

コロナ禍の影響でコミュニケーションが不足し、企業理念や価値観が十分に共有されていないことは東証に限らないと思います。

テレワークが減少傾向にあり出勤が回復してきた今、こうした考察を重視して、コロナ禍に採用した従業員とのコミュニケーションを増やし、教育を増やすことも、取締役(会)の情報管理体制構築義務に含まれていると考えても良いのではないでしょうか。

アサミ経営法律事務所 代表弁護士。 1975年東京生まれ。早稲田実業、早稲田大学卒業後、2000年弁護士登録。 企業危機管理、危機管理広報、コーポレートガバナンス、コンプライアンス、情報セキュリティを中心に企業法務に取り組む。 著書に「危機管理広報の基本と実践」「判例法理・取締役の監視義務」「判例法理・株主総会決議取消訴訟」。 現在、月刊広報会議に「リスク広報最前線」、日経ヒューマンキャピタルオンラインに「第三者調査報告書から読み解くコンプライアンス この会社はどこで誤ったのか」、日経ビジネスに「この会社はどこで誤ったのか」を連載中。
error: 右クリックは利用できません