UBISOFTが新作ゲーム「アサシン クリード シャドウズ」内での歴史や文化の表現について誤解を招くと指摘された点に声明を発表。マーケティング表現における危機管理。

こんにちは。弁護士の浅見隆行です。

2024年7月23日、フランスのゲームメーカーUBISOFTが、11月15日に発売を予定している新作ゲーム「アサシン クリード シャドウズ」に関する声明を発表しました。

日本語だけでなく英語、フランス語など多言語で発表されています(ウエブサイトの表記を英語やフランス語に設定すると見られます)。

「アサシン クリード シャドウズ」は、なぜ批判の声が集まったのか

UBISOFTが声明を発表したのは、「アサシン クリード シャドウズ」にて、織田信長の従者だった弥助を「伝説の侍」として設定したこと等について、史実と異なり歴史表現や文化表現として誤解を招くなどとSNSで指摘・批判され、Wikipediaの編集合戦にまで発展したことに応えるものです。

声明を公表するまでの経緯は、ITメディアの記事が詳しいです。

UBISOFTは声明で、以下のとおり言及しています。

『アサシン クリード シャドウズ』の発表以来、多くのご期待をいただいた反面、日本のプレイヤーをはじめとする皆さまからご指摘やご意見も頂戴しました。歴史表現に情熱を傾ける私たちにとって、豊かな歴史と文化の忠実な表現を憂慮される皆さまのご意見は深く尊重されるとともに、日本の皆さまにご懸念を生じさせたことについて、心よりお詫び申し上げます。(中略)

そしてその開発にあたり、外部のコンサルタントから、歴史家、研究者、Ubisoftジャパンの社内メンバーまで、幅広い関係者の協力を得て進めてきました。こうした取り組みにもかかわらず、プロモーション素材の一部に監修が行き届かず、日本の皆さまにご懸念を生じさせることとなってしまいましたことを、重ねてお詫び申し上げます。(中略)

私たちはあらゆる場面で忠実な描写に努めているものの、「アサシン クリード」シリーズのゲームはあくまでも歴史上の実在の出来事や人物にインスパイアされたフィクション作品です。魅力的で没入感のあるゲーム体験を作り上げるため、「アサシン クリード」はシリーズ初期から創作表現の自由を活かして、ファンタジーの要素を取り入れてきました。たとえば、ゲーム内における弥助は、そうした創作表現の一例です。謎に包まれた稀有な存在である弥助という人物は、戦国時代の日本という魅力的な舞台を背景に「アサシン クリード」のストーリーを語るのに理想的な登場人物候補となりました。

史実をヒントに小説、ドラマ、映画、ゲームなどのフィクションを作成することは今に始まったことではありません。

しかし、「アサシン クリード シャドウズ」が、史実と異なり歴史表現や文化表現として誤解を招くとの指摘・批判を集めたきっかけは、UBISOFTのウェブサイトでは「歴史に語り継がれている屈強なアフリカ人の侍である弥助」「圧倒的な迫力の侍、弥助は自慢の腕力と正確な狙いで、敵に斬り込んでいく。」などと、従者である弥助を侍であるかのようにアピールし、それが世界規模で発売されそうになったからです(以下、ウェブサイトのスクショ)。

主人公が弥助ではなくまったくの創作された人物であったり、弥助の史実に対してある程度の共通認識がある日本国内だけでの発売であれば、誰もが「フィクション」と受け取るので、ここまでの指摘や批判を集めなかったかもしれません。

実際に、過去にも弥助を題材としたフィクションは数多作成されていますが、批判は起きていません。

ところが、「歴史に語り継がれている屈強なアフリカ人の侍」などと表現しアピールしたまま、「アサシン クリード シャドウズ」が、弥助の史実についてほぼ知らない世界の人たち向けに発売されると、ゲームを通じて、誤った認識が世界に広がってしまうとの危機感を覚えたファンが多かったため、指摘や批判の声が多くなってしまったのです。

歴史学では否定されているのにもかかわらず司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」に描かれた坂本龍馬像が史実であるかのようにひとり歩きしている事態を招いたり、作り話なのに外交や政治の駆け引きとして使われるようになった従軍慰安婦や南京大虐殺のような存在に発展することを避けたかった、という危惧感もあるのではないでしょうか。

しかも、UBISOFTが弥助を侍と設定したきっかけが、「日本人が率先して奴隷制を行っていた」などと誤った史実を広げていた人物の影響を受けていると判断されたことや、文化財の扱い、日本国内の描写も批判の一因となっています。こんな記事がありました。

UBISOFTの声明は、こうした懸念や危惧感に対して「豊かな歴史と文化の忠実な表現を憂慮される皆さまのご意見は深く尊重されるとともに、日本の皆さまにご懸念を生じさせたことについて、心よりお詫び申し上げます。」と正面から応え、かつ、「フィクション作品」と強調しました。

しかし、その一方で「あらゆる場面で忠実な描写に努めている」と矛盾する記載もしているので、「フィクション」なのか、「忠実」なのか、どっちなんだい?という気にもさせられます。

声明としては中途半端な印象を受けます。

マーケティング表現と危機管理

この問題を、他の企業は、マーケティングにおける表現はどうあるべきか?を学ぶ教材として参考にすることができるのではないでしょうか。

マーケティングの際には、虚偽誇大広告や優良誤認表示、有利誤認表示、ステルスマーケティングなどの表現方法や表現内容に関する法規制のほか、他社・他国・他人種・ジェンダーなどへの配慮が必要であることは、これまで何度か取り上げました。

今回の「アサシン クリード シャドウズ」からは、創作物をマーケティングするときには、創作物であることが読み取れるように表現する必要があると学ぶことができます。

実在した人物や会社、物を題材にするときや、実在する(実在した)と誤解を招きかねないときにはフィクションであることを強調する必要がある、と言ってもいいかもしれません。

ドラマや映画などの映像でも、「この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません」「CM上の演出です」などの表示を見かけたことがあると思います。

創作しマーケティングする側からしたら「フィクションとわかるはず」と思える作品であっても、テレビや映画、広告を見た人の中には「フィクションではない」と誤解する人が少なくありません。

「アサシン クリード シャドウズ」も、弥助の史実についてほぼ知らない世界の人たちに向けて発売するゲームなので、史実だと誤解する人が相次ぐかもしれません。

マーケティングの広告表現は、見る人のレベルに合わせて、誤解を招ねかないようにすることを心掛けてください。

アサミ経営法律事務所 代表弁護士。 1975年東京生まれ。早稲田実業、早稲田大学卒業後、2000年弁護士登録。 企業危機管理、危機管理広報、コーポレートガバナンス、コンプライアンス、情報セキュリティを中心に企業法務に取り組む。 著書に「危機管理広報の基本と実践」「判例法理・取締役の監視義務」「判例法理・株主総会決議取消訴訟」。 現在、月刊広報会議に「リスク広報最前線」、日経ヒューマンキャピタルオンラインに「第三者調査報告書から読み解くコンプライアンス この会社はどこで誤ったのか」、日経ビジネスに「この会社はどこで誤ったのか」を連載中。
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