こんにちは。弁護士の浅見隆行です。
セレクトショップ「STUDIOUS」やファッションブランド「UNITED TOKYO」の事業を運営するTOKYO BASEが、2024年3月12日に、2024年3月入社以降の新卒採用の初任給を固定残業代込で月40万円にすることなどを公表しました。
リクナビに掲載されている採用情報によると、月40万円の内訳は基本給20万3000円、月80時間の固定残業代17万2000円を含むとされ、月80万円を超過する場合には別途支給する、とされています。
月給40万円と言えども、月80時間の固定残業代17万2000円を含んでいることで、SNSでは批判の声が上がるなど注目を集めています。
そこで、今回は、月80時間の固定残業代17万2000円を含んでいることの法的問題点(固定残業代の有効性)を取り上げます。
固定残業代が無効になると、どんな影響があるのか?
TOKYO BASEの月給40万円は「月80時間固定残業代17万2000円」を含んでいますが、そもそもこのような形で固定残業代を決めることは労基法37条所定の割増賃金の定めに照らして許されるのでしょうか。
これが許されるかどうかが、固定残業代の有効性の問題です。
「月80時間固定残業代17万2000円」が労基法37条所定の割増賃金としては無効であるならば(例えば、従業員が固定残業代の有効性を争い、裁判所が無効と判断した場合)、会社は、月40万円とは別に、時間外労働80時間相当の割増賃金を支払い、かつ、付加金を支払う必要が生じます。
そこで、まず「月80時間固定残業代17万2000円」が有効と判断された場合と無効と判断された場合とで、会社が支払う額にどのような影響が生じるかを、シミュレーションしてみましょう。
「月80時間固定残業代17万2000円」が有効である場合には基本給20万3000円を前提に、無効である場合には月給40万円を前提に、割増賃金の単価を計算することになります(固定残業代が無効になる場合の割増賃金の計算方法は後掲のサン・サービス事件の判示、ご参照)。
これを前提に、月平均所定労働時間を160時間と仮定する場合と173時間と仮定する場合とに場合分けして、会社が月に支給すべき額を計算すると、次の表のとおりになります(数字は切り上げで計算しました)。
月80時間固定残業代17万2000円の有効性 | 有効な場合 | 有効な場合 | 無効な場合 | 無効な場合 |
割増賃金の単価を計算する前提となる額(円) | 203,000 | 203,000 | 400,000 | 400,000 |
月平均所定労働時間(時間) | 160 | 173 | 160 | 173 |
割増賃金の単価(円/時間*1.25) | 1,586 | 1,467 | 3,125 | 2,890 |
月80時間分の割増賃金(円) | 126,875 | 117,341 | 250,000 | 231,214 |
月に支給すべき額(割増賃金との合計)(円) | 329,875 | 320,341 | 650,000 | 631,214 |
付加金を加算した支給額(円) | 900,000 | 862,428 |
計算あってますよね??
以下、この表をもとに説明します。
「月80時間固定残業代17万2000円」が有効である場合には、時間外労働80時間分の割増賃金を加算しても、会社が月に支給すべき額は40万に達しません。
固定残業代込みで月給40万円は、会社が支給すべき額を上回ります。
会社が支給すべき額との差額は会社から従業員へのプラスαのサービスと理解することができ、従業員にメリットがあります。
他方、「月80時間固定残業代17万2000円」が無効である場合には、会社が支給すべき額は40万円を大きく上回ります。
付加金まで加算されてしまうと、月給40万円で済ませようとしていたのに、結果的に支払総額が2倍以上になってしまうのです。
「月80時間固定残業代17万2000円」が有効か無効かによって会社が支払うべき額にこれほどの差が生じるので、その有効性は重要な問題です。
月80時間を前提とする固定残業代17万2000円は無効なのか?
では、「月80時間固定残業代17万2000円」は有効なのでしょうか、それとも無効なのでしょうか。
過去の裁判例に照らすと、固定残業代の有効性は、以下の3つの要件に基づいて判断されています。
要件1.基本給と固定残業代が判別できる
固定残業代を採用する場合には、労基法37条の趣旨に照らして、基本給と固定残業代とが明確に分かれて、判別できるようになっていなければなりません。
過去には、高知観光事件(最判1994年6月13日)や医療法人社団康心会事件(最判2017年7月7日)、熊本総合運輸事件(最判2023年3月10日)などで争われました。
高知観光事件判決
高知観光事件判決では、タクシー乗務員に月間水揚高の一定率を支給する歩合給を支給していたものの、時間外労働と深夜労働をしても歩合給以外は支給されていなかったところ、
上告人ら(※タクシー乗務員)に支給された前記の歩合給の額が、上告人らが時間外及び深夜の労働を行った場合においても増額されるものではなく、通常の労働時間の賃金に当たる部分と時間外及び深夜の割増賃金に当たる部分とを判別することもできないものであったことからして、この歩合給の支給によって、上告人らに対して法三七条の規定する時間外及び深夜の割増賃金が支払われたとすることは困難なものというべき
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/698/062698_hanrei.pdf
と、歩合給の支給だけでは時間外労働と深夜労働の割増賃金を支払ったことにはならない、と判断しました。
医療法人社団康心会事件判決
医療法人社団康心会事件では、医療法人と医師との間の雇用契約において時間外労働等に対する割増賃金を年俸に含める旨の合意がされていたものの、
上告人(※医師)と被上告人(※医療法人)との間においては,本件時間外規程に基づき支払われるもの以外の時間外労働等に対する割増賃金を年俸1700万円に含める旨の本件合意がされていたものの,このうち時間外労働等に対する割増賃金に当たる部分は明らかにされていなかったというのである。そうすると,本件合意によっては,上告人に支払われた賃金のうち時間外労働等に対する割増賃金として支払われた金額を確定することすらできないのであり,上告人に支払われた年俸について,通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することはできない。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/897/086897_hanrei.pdf
と、時間外労働に対する割増賃金を年俸に含むと合意していたとしても、時間外労働の割増賃金の額を確定できないから、合意に基づく年俸を支払っても時間外労働の割増賃金を支払ったことにはならない、と判断しました。
熊本総合運輸事件判決
熊本総合運輸事件判決では、時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される本件割増賃金の総額のうち、基本給等を通常の労働時間の賃金として労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を時間外手当の額とし、その余の額が調整手当の額とする新給与体系を定めました。
これに対し、トラック運転手が時間外労働の割増賃金を請求したのです。
最高裁判所は、
新給与体系は、その実質において,時間外労働等の有無やその多寡と直接関係なく決定される賃金総額を超えて労働基準法37条の割増賃金が生じないようにすべく、旧給与体系の下においては通常の労働時間の賃金に当たる基本歩合給として支払われていた賃金の一部につき、名目のみを本件割増賃金に置き換えて支払うことを内容とする賃金体系であるというべきである。そうすると、本件割増賃金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われているものを含むとしても、通常の労働時間の賃金として支払われるべき部分をも相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。
そして、前記事実関係等を総合しても、本件割増賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかが明確になっているといった事情もうかがわれない以上、本件割増賃金につき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなるから、被上告人(※熊本総合運輸)の上告人(※トラック運転手)に対する本件割増賃金の支払により、同条の割増賃金が支払われたものということはできない。
として、割増賃金の一部に時間外労働に対する対価としての支払いが含まれているとしても、不明確で、通常の労働時間の賃金に当たる部分との判別ができないことから、時間外労働の割増賃金の支払いには当たらない、と判断しました。
要件2.時間外労働に対する対価性がある
上記2つの判例によれば、通常の労働時間の賃金と時間外労働の割増賃金とが判別できればよく、なおかつ、医療法人社団康心会事件判決によれば、時間外労働の割増賃金の額を確定できれば固定残業代が許容される余地があることがわかります。
以上を前提に、日本ケミカル事件(最判2018年7月19日)は、さらに、固定残業代が時間外労働に対する対価として支払われていることが必要であることを判示しています。
サン・サービス事件(名古屋高判2020年2月27日)は、固定残業代に時間外労働に対する対価性がないとして、固定残業代と想定していた額も割増賃金の基礎となる賃金に含めて、時間外労働の割増賃金を算出し、その支払いを命じました。
日本ケミカル事件判決(対価性肯定)
保険調剤薬局を運営する会社が、薬剤師との雇用契約書、採用条件確認書、社内の賃金規程に、みなし時間外手当として業務手当を定めていました。
- 雇用契約書には「月額562,500円(残業手当含む)」「給与明細書表示(月額給与461,500円 業務手当101,000)」と記載
- 採用条件確認書には「月額給与 461,500」「業務手当101,000 みなし時間外手当」「時間外勤務手当の取り扱い 年収に見込み残業代を含む」「時間外手当は、みなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」と記載
- 賃金規程には「業務手当は、一賃金支払い期において時間外労働があったものとみなして,時間手当の代わりとして支給する。」と記載
- 薬剤師以外の各従業員との間で作成された確認書にも、「業務手当は、固定時間外労働賃金(時間外労働30時間分)として毎月支給します。一賃金計算期間における時間外労働がその時間に満たない場合であっても全額支給します。」等と記載
ところが、薬剤師は、時間外労働、休日労働、深夜労働の割増賃金と付加金を請求しました。
最高裁判所は、上記の医療法人社団康心会事件判決を引用した後、
使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより,同条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができる。
そして、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは,雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか,具体的事案に応じ,使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容,労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/883/087883_hanrei.pdf
と、
- 固定残業代(定額の手当)が「時間外労働等に対する対価として」支払われていること(対価性)が必要であること
- 対価性があるかを判断する際に考慮すべき事情(諸要素)
を示しました。
なお、日本ケミカル事件では、裁判所は、上記に判示した要素以外に、
被上告人(※薬剤師)に支払われた業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、被上告人の実際の時間外労働等の状況(前記2(2) ※時間外労働が月30時間以上が3回、月20時間未満が2回、その余の10回は20時間台))と大きくかい離するものではない。
と、定額の手当(固定残業代)として支払う額が、時間外労働時間の実態に見合っているか(金額の相当性・近接性)をも考慮し、対価性があるかを判断しました。
※2024/3/27追記
WIRED JAPANにて、TOKYO BASEの谷CEOが、「当社の販売スタッフの残業時間は平均10時間〜20時間。万が一45時間を超えた社員には始末書で改善策を提出させることを徹底している。(80時間分の設定は)僕らがベンチマークしている企業がそのような設定をしていたので、それに倣っただけで深い理由はない。」と説明したことが報じられています。
この通りだとすれば、平均10時間~20時間の時間外労働で80時間分の残業代がもらえるということなので、対価性はあり、かつ、金額の相当性・近接性もある、と認めやすいと思います。
サン・サービス事件判決(対価性否定)
サン・サービス事件(名古屋高判2020年2月27日)は、月80時間相当の固定残業代(深夜・残業手当とみなす職務手当)でありながら、実際の時間外労働時間が毎月120時間を超えていた、という事案でした。
裁判所は、基本給と固定残業代(職務手当)が明確に区分されるとしつつも、
本件職務手当は,これを割増賃金(固定残業代)とみると,約80時間分の割増賃金(残業代)に相当するにすぎず,実際の時間外労働等と大きくかい離しているものと認められるのであって,到底,時間外労働等に対する対価とは認めることができず,また,本件店舗を含む事業場で36協定が締結されておらず,時間外労働等を命ずる根拠を欠いていることなどにも鑑み,本件職務手当は,割増賃金の基礎となる賃金から除外されないというべきである。
なお,一審被告は,割増賃金(固定残業代)の合意が無効となるとしてもその範囲は45時間を超える部分に限るべきである旨主張するが,割増賃金の基礎となる賃金から除外される賃金の範囲を限定する根拠はなく,採用できない。
名古屋高判2020年2月27日
と判断しました。
固定残業代が時間外労働に対する対価性を欠く場合には、固定残業代と想定していた額も割増賃金の基礎となる賃金に含まれる(除外されない)、と判断していることがポイントです。
つまり、サン・サービス事件では、基本給20万円、深夜・残業手当とみなすとしていた職務手当13万円だったのですが、この合計33万円をもとに、時間外労働の割増賃金が計算される、ということです。
要件3.月80時間の時間外労働を前提とする妥当性
TOKYO BASEの固定残業代は「月80時間」の時間外労働を前提としています。
過労死ライン
厚労省は過労死等を労災として認定する際の基準である「脳・心臓疾患の認定基準」にて、
- 発症前1か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね45時間を超える時間外労働が認められない場合は、業務と発症との関連性が弱いと評価できること
- おおむね45時間を超えて時間外労働時間が長くなるほど、業務と発症との関連性が徐々に強まると評価できること
- 発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できること
と定め、複数月平均で時間外労働時間が80時間を超える場合には業務と発症との関連性が強いと評価できる、と判断しています。
また、80時間に満たない場合でも勤務時間の不規則性や心理的負荷・身体的負荷を伴う業務などの負荷要因をも考慮して、時間外労働に加えて一定の労働時間以外の負荷が認められるときには、業務と発症との関連性が強いと評価できる、ともしています。
そうすると、月80時間の時間外労働を想定した固定残業代は過労死を誘引するのではないかという観点からも、その有効性は問題になります。
イクヌーザ事件判決
この観点から判断をしたのがイクヌーザ事件判決(東京高判2018年10月4日)です。
アクセサリー等の企画販売等を営む会社イクヌーザは、従業員との雇用契約書、昇給時の年俸通知書、賃金規程に月80時間の時間外労働を前提とする割増賃金を定めていました。
- 雇用契約書には、基本給23万円のうち8万8000円を月間80時間の時間外勤務に対する割増賃金とする旨を記載
- 2014年4月16日からの昇給に際しては、基本給26万円のうち9万9400円は月間80時間分相当の時間外勤務に対する割増賃金とする旨が記載された年俸通知書を交付
- 賃金規程には、基本給のうちの一定額(時間外月額)につき、これが所定労働時間を超えて勤務する見込時間に対する賃金である旨を定めている
これに対し、従業員が時間外労働等の割増賃金を請求したのです。
裁判所は、
1か月当たり80時間程度の時間外労働が継続することは,脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる恐れがあるものというべきであり,このような長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定して,基本給のうちの一定額をその対価として定めることは,労働者の健康を損なう危険のあるものであって,大きな問題があるといわざるを得ない。そうすると,実際には,長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情が認められる場合はさておき,通常は,基本給のうちの一定額を月間80時間分相当の時間外労働に対する割増賃金とすることは,公序良俗に違反するものとして無効とすることが相当である。
(中略)
本件のような事案で部分的無効を認めると,・・・とりあえずは過大な時間数の固定残業代の定めをした上でそれを上回る場合にのみ残業手当を支払っておくとの取扱いを助長するおそれがあるから,いずれにしても本件固定残業代の定め全体を無効とすることが相当である。
と、厚労省の「脳・心臓疾患の認定基準」の趣旨を踏まえて、月80時間分相当の時間外労働を前提とする固定残業代は全体が公序良俗に違反するから無効になる、と判断しました。
この最高裁判例によれば、TOKYO BASEのように「月80時間の固定残業代17万2000円」は、最高裁判例が言うところの「長時間の時間外労働を恒常的に労働者に行わせることを予定していたわけではないことを示す特段の事情」があるかどうかによって、公序良俗に違反して無効になるか、違反せずに有効になるかがわかれそうです。
とはいえ、予定したわけではないことはどうやって証明するのでしょう。
社内で恒常的に月80時間の時間外労働をしている社員はいないという従業員の就労状況をタイムカードや勤怠システムの入退社の記録によって証明することになるのでしょうか。
TOKYO BASEの就労状況については知りませんが、結局のところ、普段から長時間労働をさせない環境づくりがポイントになりそうです。
時間外労働の上限規制の労基法改正
さらに、大企業では2019年4月1日から、中小企業では2020年4月1日から、時間外労働の上限について規制した改正労基法が施行されています。
- 時間外労働の上限は、原則月45時間、年360時間
- 臨時的特別事情があるときには、年720時間、複数月平均80時間、月100時間以内、年6か月まで
という上限があるので、イクヌーザ事件判決が指摘した「特段の事情」の有無にかかわらず、そもそも月80時間の時間外労働があることを前提とした固定残業代が改正労基法に照らして違法となる可能性があります。